グループ活動 一年間を振り返って
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Last Update 2014/10/05

■ドラエモンズ

 ドラエモンズの活動記録ノートは5冊目を終わろうとしています。平成8年7月7日、新潟市体育館西運動場に、小学1、2年生の親子8組が集まり、遊びの会「ドラエモンズ」が誕生しました。
 元気に走り回る子供たち(というより、落ち着きがない子供たち)は初対面の緊張感など全くなく、親は今後に不安と期待が入り混じっていました。活動内容は、ドッジボール、ビーチバレー、手つなぎ鬼など体を使ったものばかり。親もまだ30代でしたので、十分動き回ることが出来ました。整列をさせようにも、誰かしらどこかへ行ってしまう状況で、親は振り回されていたように記憶しています。
 3ヶ月後、教育センターの先生から、遊びの会の参考にとビデオと資料をいただきました。早速、勉強会を開きグループ指導を始めることにしました。親たちは、○○しなければならない、△△ができるようにしたいという思いが強かったと思います。そんな気持ちが子供たちにプラスになるはずがありません。遊びの会が学びの場になっては楽しめません。4ヶ月後には、方向転換をしました。継続していくことで見えてくることがあるはず、そのためには子供も親も楽しいと思える集まりにしよう! ということになりました。
 その後はみんなで活動内容を相談し、たくさんの楽しい時間を一緒に過ごしてきました。全員が中学生になるまでは、月2回遊びの会を行っていました。その後は、遊びの会は月1回、スポーツ教室は希望者が月1回のペースで現在に至っています。今、活動のメインになっている「集いの場」は、友達の家で過ごす感覚で始めました。ゲームをしている人、それを見て楽しんでいる人、ボランティアさんや親と話をする人、また大勢でトランプやUNOをしたり・・・とのんびりとした時間を過ごしています。昼食は近くのコンビニに買い出し、その後も好きなことをして14時ごろ帰りの会をして解散です。中学生の時、「ドラエモンズにいると、そのままの自分でいることが出来る。背伸びをしなくてもいい」という言葉を聞きました。継続してきたからこその実感ではないでしょうか。
 大学や専門学校に進学し、一時活動への参加が減ったメンバーも、卒業後は以前のように遊びの会に来ています。久しぶりでも、すんなりと溶け込めるのもそれまでの繋がりの賜物だと思いました。まだまだ親主導の遊びの会です。課題はありますが、これからも子供たちにとって、そしてもちろん親にとっても、ドラエモンズの集まりが「居心地の良い場所」の一つとして続くことを願っています。

■ポケモンズ

 ポケモンズです。新潟周辺の男子学生と社会人のグループです。始まりは、18年前、年中から年長の頃、入会と同時に「グループ活動を始めます」と言われました。初めは新潟だけでなく長岡も、女の子も男の子も一緒でした。
 この頃、茶話会はAさん宅。保育園の対応やきょうだいのことなど話は尽きず、一番の話題は小学校入学。「通常にするの?はまぐみの先生に相談したら?」「就学時検診は何するの?」etc...。毎回毎回、本来の作業を後回しにして盛り上がっていました。懐かしく思い出します。(いなほの会全体のクリスマス会をポケモンズで企画しました。)外遊び、調理実習、クリスマス会、スポーツ系、買い物、電車の旅、映画など≪遊びの会≫を親が持ち回りで企画、SSTも少し入れるけど、まずは楽しい事をしようと思いました。もちろん、部屋から出て行く子どもと一緒に途中で帰ることもありました。「子どもたちが安心して前に出られる場所を!」「いろいろな体験を通して同年代のこと関わるように!」そして、「私たちが周りに遠慮せず、何も言わなくてもわかりあえる親同士で話せる場所に!」と考えました。回数を重ねて、たとえ直接関わらなくても、同じ部屋にいるだけでなんとなく安心して、そこにいるようになっていったと思います。
 しかし、ポケモンズは、順風満帆だったわけではありません。小学中学年〜高学年になる頃、将来の活動も考えて再編成しました。地域別グループとして長岡の子達はそちらへ移行、また、女子グループ「ミュウ」を新たに作り、女の子達も移りました。総人数が減り、遊びの会の参加が2家族になり、1家族になり、「グループとして維持できない・・・。どうなっちゃうの!?」と、先が見えない時期がありました。
 この時に、「最初の気持ちを思い起こそう。子供も親も居心地のいい場所にしたい。そして何より、細く長く!成人しても続けたい。毎月遊びの会がなくても自分達にあったやり方で続けていこう!」とみんなで決めました。
 小学校高学年、新しいメンバーが加わり、ボランティアさんが毎回参加して遊びの会の形が整っていきました。その後、中学、高校となり、「遊びの会には行かない。」との子どもの声を成長と受け止め、「子どもが行きたいと思った時に行ける場所にしていこう。」と話してきました。現在は数ヶ月に1回の遊びの会、映画鑑賞や食事等をしています。「ポケモンズなら行きたい!行く!」と目がきらきらしています。
 茶話会は、納涼会や勉強会モードを加えて、続けやすいかたちを模索しつつ進めています。「成人しても・・・」だけでなく、長く長く繋がっていこうと思います。何より細く!長く!です。

■チームトトロ

 長岡地域で活動しているチームトトロです。今は幼児から大人までいるグループですが、発足当時は皆小学生でした。右も左もわからず、ただ何かしたいという親の思いだけで、手探り感満載のスタートでした。その頃思ったのは、『SSTがやりたい!』まあ自己流でした。神田公民館や神田小の体育館で月2回集まりました。子どもたちは様々でしたのでできることから褒めていきました。自己紹介の間座っていられればよし、名前が言えればよし、もうその場に来られればよしです。なるべく自分の子ではなく他の子を見るようにしました。しかし専門家がいない中でのSSTもどきはすぐ行き詰まり、遊びの会に方向転換しました。
 「学校以外での仲間や居場所ができたら・・・」と思い始めました。また子どもたちも少しずつ仲間意識らしいものが芽生え、遊びの会は楽しみの場だったと思います。担当は持ち回りでしたがあまり負担にならないよう各自の子どもが興味のある回に受け持つようにしました。家族のお出かけに仲間を誘う感じです。いろいろやりましたが一番盛り上がったのがクリスマス会でした。手作りのゲーム屋さんやお店屋さん、パネルシアターや一発芸発表会。普段見られない子どもたちの笑顔や、年齢を超えた繋がり方などいろいろな顔を見せてくれました。そして何より良かったのが家族みんなでの参加でした。父親を何とか巻き込みたい。それには飲ませるに限る!クリスマス会の一角に一品持ち寄りの大人コーナーを設けました。当事者の兄弟同士が同じ境遇の子にあって仲良くなるように、父親たちも同じ感情を持ったと思います、そして家では見られない我が子の他者との関わりや、他の子の様子を見ることで感じるものがあったと思います。
 平行して体操教室も始めました。運動が苦手な子が多かったのですが、K体操教室のK先生がとても上手に関わってくださり、みんな先生が大好きでした。褒められることの少ない子どもたちが、『いいぞ!』と言ってもらえ存在価値を認めてもらえるような場所でした。
 この頃、例会では先輩お母さんに話を聞いたり相談できる場があり、助けられました。股車座で先生のアドバイスに助けられた人は数知れず。先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
 年齢差が広がった頃から遊びのグループを分けました。小学生グループと中高生以上のグループ(ソニック)、女の子グループ(カモミール)です。全体会も年に2回ほど行っています。そして最近では就労した青年部も活動を始めました。奇数月に計画を立て偶数月で実行し、結構積極的に意見を出し合い計画を立て、東京や新潟市に遊びに行ったり忘年会もしています。仕事でストレスを感じる中、リフレッシュすることの大切さを痛感しました。青年部の子たちは初期のころから参加しています。途中うまくいかない時期もありましたが、久しぶりに顔を合わせた時、仲間意識を持っていてくれたことは嬉しかったです。続けてきて良かったと思いました。小さいときからの積み重ねがここに来て実を結んだ気がしました。
今、チームトトロは大所帯になり模索中ですが、これからの人たちにも、繋がるということを諦めずに進んでほしいと思います。

■ミュウ

 今年のお正月も、娘のところにはミュウの仲間や、かつてのボランティアさんから年賀状が届きました。ここ数年は新年のあいさつメールもやり取りしているようです。毎月の遊びの会や普段の携帯でのやり取りなど、すっかり娘の生活の一部になっているミュウについて、振り返ってみたいと思います。
 今から15年くらい前になるでしょうか、ポケモンズに参加してきた女の子4名が中心となり年上の子達も加わって女の子のグループをつくりました。なかなか学校では友達もできにくい彼女達ですし、親の会でも少数派の女子。親は遊びの会に学校以外の居場所や子どもの仲間作りを求めていたので、子どもが小学校中学年になって「女の子同士」を意識した活動を始めたのも自然な流れだったと思います。「大人になっても付き合える友達になれるといいね」と夢を描きながら、まずはクッキー作りから始め、雛祭り、大畑少年センターでのお泊まり会や西堀ローサでのお買い物など、知恵を出し合い、姉や妹達も加わって、ほぼ月1回のペースで親子の活動を新潟市でやっていきました。
 少しずつメンバーが加わる一方で、会を卒業していくメンバーが多いのも女子の特徴でしょうか。いっとき参加者が少なくて心細い時期もありましたが、細々とでも定期的な活動を続けていくと、お休みしていたメンバーが戻ってきてくれたり、新しいメンバーが活動に新風を吹き込んでくれたりします。現在は「中学生以上の女子」のグループとして、カラオケやヨガ、料理やショッピング、メイクやファッションチェンジや食事会などが活動の定番で、親だけが参加しても楽しい会になりました。
 そんなミュウの活動で忘れてはならないのが、歴代の学生ボランティアさんの存在です。発足当初は親達も子どもの気になる部分をSSTによって何とかしたいという気持ちが捨てきれず、学生さん達もそれに応えて下さったのですが、毎回SST的要素を取り入れた活動を学生さんと相談して行うということは親達にとって無理がありました。ほどなく遊びの会は、前半は親が考えた活動に一緒に参加してもらい、後半は親が茶話会を開いている間、子ども達とゲームで遊んだりおしゃべりしたりして楽しく時間をすごしてもらうというスタイルに落ち着きました。学生さん達には”お姉さん”や”友達”の感覚で、子ども達だけでは育ちにくい「仲間意識」を育み、アニメやアイドルやメイクやファッションなど年頃の女子のセンスを大切にしてほしいと思っています。昨年からは「性の話」や「悪質商法について」などの勉強会にも子どもと一緒に参加してもらっています。子ども達が参加を楽しみにしているミュウの活動を今までずっと続けてこられたのも、同性の学生ボランティアさん達によるところが大きいと、本当に感謝しています。
 さて、ミュウを始めた頃は想像もつかなかった「大人」という年頃になった娘は、以前の活動を懐かしく思い出しながら「私はずっとミュウを続けるよ」と、きっぱり。そうね、母も続けてきて良かった。この先も子供も親も安心して参加できるミュウの活動を大切にしていきたいと思います。

■いなほ柏崎

 今から20年前の冬、上越教育大学で「LD学習障害」の講演会があり、講師の先生の話を聞いて、親の会の必要性とその大事さを感じた参加者が集まり、その年の春、柏崎市にて「いなほの会」が発足しました。
 当時のメンバーは7人くらいだったでしょうか。その後、長岡市を中心に、新潟県の親の会として活動が始まり、平成8年の春、第1回総会が開催されたと記憶しています。
 柏崎グループとしては、当初、幼児から小学校低学年の子供たちが中心だったので、上越教育大学の大学院生のボランティアの方々と、遊びの会や体操教室の活動、月1回の親の会の例会を行いました。また、初期のメンバーを中心に、通級指導教室の設立のため、柏崎市の教育委員会等に何度も足を運びました。実現まで時間はかかりましたが、現在、通級指導教室を利用している方々がいます。
 その後、子供たちが小学校4年生になった頃から「老人ホーム」や「豆腐屋」等で職場体験をしてきました。また、臨床心理士の先生をアドバイザーに迎え、親の勉強会、子供たちのソーシャルスキルトレーニングを行ってきました。
 現在は、一般就労や障害者枠で就職している子供など、高校生以上が多いので、月1回の遊びの会や調理の他に、茨内地域生活支援センターの方より、本人向けに、お金の管理や医療機関の使い方などを教えていただいています。今年は性の問題についての勉強会もしていただく予定です。また、親の例会、2ヶ月に一度の臨床心理士の先生の勉強会も継続しいます。
 やはり、学齢期を過ぎてからの課題点が多く、今後の活動において、情報の入手や勉強会が必要だと感じる日々です。

■ラピュタ

 ラピュタは、平成13年4月に下越地区の小学校低学年グループとして誕生しました。
 小1から小3の7名からのスタートでした。まずは親同士の親睦を深めるために、平日茶話会を5月から始めました。毎回新メンバーが加わっていきました。9月からは前代表が来て下さり、個々へのアドバイスや家庭での対応、学校との連携などの勉強会を1年半くらい行いました。
 初めての遊びの会は11月でした。ポケモンズと一緒に担当をした全体のクリスマス会に向けのレクの練習をしました。大半の子供たちは何となく流れに乗れていましたが、我が子はやりたい放題で、注意ばかりになってしまいました。
 年度末にはメンバーが20名を超え、ラピュタはそのままに、遊びのグループを2つに分けて行うことにしました。おとなしい系(ラビットクラブ)とさわがしい系(スマイリークラブ)に分かれました。どちらのグループも年間の活動回数と担当を決めて活動していきました。茶話会は合同で、この頃はマクドナルドの個室を借りて開催していました。新メンバーも更に増え、学年の幅も広がっていきました。数年はこの体制で活動をしていきました。ラビットクラブは、工作・調理・電車でお出かけなど、趣向を凝らした親子で楽しむ活動をしていました。スマイリークラブは体育館で鬼ごっこやドッジボールなど身体を動かす活動をしていましたが、我が子は流れに乗れずトラブルばかりで、母はストレスをためていました。茶話会はふれ愛プラザで開催するようになり、茶話会後の駐車場でのおしゃべりが何よりの楽しみでした。メンバーは出入りがあり、常時30名くらいでした。
 学年幅が広がりすぎたため、平成19年4月に小学生以下は新しいグループを立ち上げ、ラピュタから分かれました。茶話会は引き続き合同で行いました。ラピュタメンバーの減少に伴い、平成21年4月から遊びの会のグループも一本化しました。茶話会もラピュタのみで、大半を休日開催にしました。遊びの会は年2〜3回とし、ボウリングやカラオケをしました。ここ数年は、ほぼこの形で活動しています。子供たちが高校生になるくらいまでは、メンバーの入れ替わりや活動回数の少なさなどで、子供たちのつながりができにくい状態でしたが、別の活動で一緒になったり、学校が一緒になったりしたことで、徐々につながりができていきました。グループ活動は、メンバーにとって大切なものです。
 『焦らずゆっくり、親と子がホッとできる場所に』と願い、スタートした活動。今もその願いは変わらないように思います。現在のメンバーは10名です。子供たちは19歳から21歳で、大半が社会人となりました。その時その時を踏ん張って守ってきてくれたメンバーがいるから、グループ活動が継続できています。ラピュタに関わった全てのメンバーに感謝です。